2007年3月28日水曜日

捜索作業

キャットさんがいなくなってからこっち、毎日1回、多い時は3度ほど、場所を変えコースを変え、歩いて捜索を続けている。
自営で工房をやっているおかげで、時間的な都合をどうにでもできる(それほど自由じゃないけれど)ため、捜索に当てられる時間も多めにとれてはいるけれど、これがサラリーマンの方なら相当大変だと、つくづく思う。
張り紙なんかもしているおかげで、時々電話をいただいたりもするが、中には「事故にあったのを見た」という知らせなんかもあって、実際に確認にいったり、夜の捜索なんかでは、たまたま事故現場に出くわしてしまって、道路の真ん中から遺体を引き上げ、翌日、市の環境課に電話したりと、結構タフな状態が続く。自分のとこの猫じゃないからといって、どうなっていても心が痛まないわけがないし、明日は我が身じゃないけれど、いたたまれない気持ちでいっぱいになる。実際、こういった捜索を1週間続けただけでも、正直精神的にも肉体的にもキツい。

なんでも自分の身に起きてみなければわからない事はあるものだけれど、こうして猫一匹いなくなっただけでこの騒ぎなわけで、例えば身内の方が行方不明になったとか、どこぞの国に拉致されたとか、何年も何十年も捜索し続け、あるいは事故や事件ならその犯人と戦い続けるという事は、悲しさも当然だけれど、精神的にものすごく大変な事だと想像するに難くない。いや、想像を絶しているとも言える。自分ならできるだろうか?と思えば、なかなか答えを口にする事は難しい。
仕事や人生を、ある意味犠牲にしてでも、探し出す、救い出す、続ける。それは、本当に並大抵の事ではないのだ、と、おぼろげであっても実感する。
できれば猫には行方不明になってほしくはなかったし、時間が戻れば戻したいとも思う一方、こういった環境になったからこそわかる事もあり、そしてそれを教訓にしなくてはいけないんだなあと、どうにも疲労が抜けきらない頭で考えたりしている。

ともかく、早く無事に帰ってきてくれる事を、日々願いつつ、仕事もちゃんとやってます。

0 件のコメント: