2008年8月31日日曜日

記憶


ある曲を聞いた時、ふっと懐かしい想い出が走馬灯のように蘇る事がある。
子供の頃聞いた音楽。青春時代。音の記憶は、映像と結びついている。

同じような事が、匂いにもある。むしろより強く記憶と繋がっている。
街ですれ違った人が残した淡い香りや、洗い立てのタオルで顔を拭いた時。しばらくぶりに訪れる親類の家の玄関を開けた時。匂いとリンクされた映像を、脳みその片隅から引っぱり出そうと試みる。
なんだっけ、なんだっけ・・・・。

はっきりとは映し出せない映像も、しかしその時の気持ちだけは、胸のあたりにじんわりと感じられ、時に懐かしく、時に微笑ましく、時に辛く、悲しく、せつない感触が、全身に広がっていく感じ。

終わった事の記憶。繰り返す事のできない時間。いい想い出。

しばらくすると、それを思い出していた事も忘れてしまう。
いつのまにか、懐かしい匂いが消えているように。

2008年8月30日土曜日

伝説


うちに、ほぼ完成形のチェロの裏板がある。
白木の状態で、しばらく看板として飾っていた。
この板は飾り用として作ったわけではなく、本当にチェロを作ろうとして作ったものだ。

まだ製作学校に通っていたころ、初めてチェロの製作にとりかかり、バイオリンの何倍も大きい板に苦労しながら一生懸命削っていた。
2枚の板を真ん中ではぎ合わせ、表面を平らにし、そこに型を置いてアウトラインを描く。
線に沿っておおまかに電動のこぎりで切ったあと、ナイフややすりを使ってきれいなラインになるよう整えていく。
そのあと、表面をノミで彫って、ふくらみを作っていく。裏板はカエデなので堅い木だから結構たいへんだ。
そして、ぐるりにパフリングという細いラインを溝を彫って埋め込んでいく。
時々お客さんが驚かれるのだが、この「黒白黒」の細い線は描いてあるのではなく、細い木を埋めてあるのです。この作業がチェロの大きさだとまたまた大変・・・。細い溝を彫っても彫っても、なかなか一周しないのだった。パフリングのあとは、表面をさらにきれいにして終了。

しかし、今度は裏面を彫る作業が残っている。
まずは、まだまだぶ厚い板をノミで「あらどり」する。
腰を入れてガツガツ彫っていくのだ。
実はわたしはこの作業が結構好きだ。彫るというより、工事現場のおっちゃんになったような気分で、ガンガン掘っている。

そしてあのとき悲劇は起こった。

ノリにのっていた私の耳に「 パ リ 」という音がして、端っこに黒い丸が現れた。

「 こ れ は な に か し ら 」

わかっているけど、わかりたくない。
見えているけど、信じたくない。

・・・・・それは間違いなく穴だった。

その場に固まっている私。
隣の席の男の子も一緒に固まっていた(彼はあとで「どう声をかけたらいいか、わからなかったっすよ」と話してくれた)

しかし、あいてしまったものはどうしようもなく、先生のところに行って「穴が開いてしまいました」と言った。
先生もかなりびっくりして「バイオリンの板なら穴をあけた人を見たことがあるけど、チェロっていうのは今まで見たことがないなぁ~、伝説作ったやん!」となぐさめ(?)てくださった。
そして、もう今日は帰りなさい、仕事を続けるのは無理やろ?と労わってくださった。
でも、その日は学校の最寄の駅で友人と待ち合わせをして出かける約束があったので、その中途半端な数時間を持て余すのも余計にしんどいし、作業らしきものを続けることにした。

チェロの板に穴があいている・・・。
あんなに苦労して作ったのに、一瞬でこんなことになるとは。
直そうと思えばできないことはなかったけど、仕切りなおして一から製作することに決めた。
むしろ穴があいてよかった。
ぎりぎりの薄さのところで気がついたら、たぶんもっとグッタリしてしまったと思う。

その後無事にチェロはできあがり、現在はお嫁入りもして、可愛がってもらっている。